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2014年08月05日

一途であるということ  古城 昇

                *
 朝、目が覚めると、私の腹を枕代わりにするように彼女が横になっていた。私が体を起こそうとすると、それに気付いた彼女は軽く首をかしげて、私を動かすまいと自身の体をすり寄せてくる。軽く頭をなでてやると、今度は嫌がって布団から出ていく。しばらくすると、また側にやってきては、朝ご飯を作って欲しいと懇願してくるのだ。いじらしくて愛おしい彼女に、私は数年前から虜にされている。



 彼女と出会ったのは、私がアルバイト先の居酒屋から帰るときだった。風が生ぬるく、曇り空が広がっていた日。雨男の私は、その日もいつもと同じように、店から出た途端に雨に降られてしまった。常備している折り畳み傘を開き、鞄を頭にのせて小走りで通り過ぎていく人たちを横目に歩き出した。水しぶきを立てて走る車の脇を通る。街の騒音を消すぐらいの雨音が、傘の内側に響くのを聞きながらとぼとぼ歩いていた。そのとき、私の横を彼女は音もなく、すっと通り過ぎたのだ。傘を持たず、凛として歩く姿を目で追ううちに、私は彼女の後を追いかけていた。そして現在に至る。彼女は勝手気侭であるので、私が彼女の行動を制限することなどできるはずもなく、常に振り回されている。それでも彼女が家にいてくれることが何よりも幸せなのだ。しかし今日の私には重要な仕事がある。時刻は八時を少し過ぎたところ。彼女の朝食とともに自分の分をさっと作る。彼女はそれができたのがわかると途端に食いついてしまった。待っていてくれてもいいのにと思いながらも、そのようなところが可愛いのだと思い返す。あれこれと身支度をしていると時刻は八時半を過ぎていた。もう家を出ないと間に合わない。私は留守番をしてくれる彼女を数分愛でてから家を後にした。本当に彼女は愛らしい。


 通勤で使う駅近くに新しくできるというケーキ屋がある。ケーキが好きだなんて女らしくみえるだろうがそれが何だ。好きなものは仕方がない。私が今向かっているのがそのケーキ屋である。今日の九時、私が待ちに待っていた彼女と対面できる時間。私は彼女と一方的な待ち合わせをしている。
 彼女を見かけたのは、その店が建てられてまもなくの頃。中で従業員らしき人たちが店を開くため店内改装をしていたときであった。通りかかった私は、一際目を引く彼女に目を奪われてしまった。中の人たちから見たら、窓にへばりつく私はなんて変な人であっただろうか。彼女のその柔らかな雰囲気は店中を包むがごとく、とびきりの存在感があった。まわりの従業員も彼女には一際注意を払っている。窓の外からではなく、正面から彼女を見たい……。その思いで入口の自動ドアに貼られている張り紙を食い入るように見つめ、彼女に堂々と会える開店の日付を脳内に焼きつけた。
 そして今日がその日。ケーキが作られている作業場はガラス越しに通りから見える。そのように店を建築してくれた職人に本気で拍手を送りたい。なぜなら彼女を間近で見ることができるのだから。九時になる少し前、開店の知らせを聞きつけたらしい主婦の方々が集まってきた。少々視線が気になるが、これくらいで臆する私ではない。今日は彼女を見るために来たのだから。開店を待つ人ごみがざわざわと騒ぐ中、
「当店にお越しくださいましてありがとうございます。いらっしゃいませ、店内ご自由にご覧ください」 
 華奢な体に真っ白なフリルのついたエプロンを身につけ、店長らしき人物が外に出てきて、大きく声をあげる。かわいらしい声だ。その瞬間に、側にいた女性の方々はそろって店内に流れ込んでいった。私もその後ろから店内に入る。目的は彼女。やはり直接見るとさらに美しい。ガラス越しで見るよりも輝いて、ますます私を虜にした。店内に広がる甘ったるい焼き菓子の香りに、彼女の持つ甘酸っぱい美しさが際立ち、心を躍らせる。今私が彼女を見る目こそ、「輝いている」と形用するのにふさわしいだろう。
 「美しいですよね、私も惚れ惚れしてるんです」
 彼女を挟んで向こう側にいる売り子の従業員が、ふわっとした笑顔をこちらに向けて私に話かけてきた。彼女には負けているが、彼女もかわいらしい。
 「……一つ、いや二つお願いします」
 私はすぐに彼女を手に入れた。衝動的な行為であった。これから会う彼女との約束にも支障はないだろうと思うが、彼女を一人で堪能できないことが悔やまれる。しかし、これからは見たいときに来れば会えるのだ、と自分を励まし、約束の場所へと足を運ばせた。



 朝、目が覚めると隣に寝ていた彼はもう仕事へ出かけていた。昨日、遅くまで彼の会社の愚痴やら上司への不満を聞きながら飲み明かしたというのに。よく起きれるものだと、髪をかき上げ、覚醒を待つ。私は朝に弱い。気持ちの良すぎる布団に顔をうずめ横になる。このままもう一眠りしたいなと思いつつも、そろそろ起きないと約束の時間に遅れてしまう。重たい体を起こし、背伸びを一回。窓のカーテンを開き朝日を浴びる。ふと部屋中に漂う温かな香りに気づく。今日は味噌汁かな。香りにつられキッチンに向かうと、形のいびつな目玉焼きとボイルされたウィンナーがラップされて置かれていた。コンロには温められた味噌汁の鍋があり、蓋がずれていて、そこから湯気が立っている。彼が出て行ったのがつい先程であるとわかる。私の彼は料理が得意というわけでもなく、作れる種類も少ない。しかし朝が弱い私を気遣って、彼が泊まっていった日の次の日の朝にはこうやって朝食が準備されているのだ。毎回律儀に置手紙を残していく。

  今日は夜遅くまで仕事があるので先に寝てて。
  ちゃんと体に良いもの食べなさい。
  いってきます。

 日頃からコンビニ弁当の割合の多い私に対しての忠告。これで何回書かれただろうか。お母さんみたいに接してくれるその優しさに甘えてしまっている。私は本当に彼に愛されているのだな。彼の愛情にひたりながら、味噌汁を注ぎ、食卓につく。半熟の黄身に箸を突き刺し、醤油とからめる。テレビをつけると時刻はもうじき九時をまわる頃。約束の時間は十時。今から着ていく服を選んで、髪を整えて、化粧をしないといけないのに……。この時間ではもはや遅刻決定である。まず約束している彼にメールを送らなくては。

  今起きちゃった、ごめんね、5分くらい遅刻するかも……(泣)本当にごめんね!

 送信ボタンを押す。次に携帯電話の電話帳の中から、最近知り合った彼の番号を探す。彼は学生だからもしかしたらまだ家にいるかもしれない。通話ボタンを押す。

 『……はい、おはよう。朝からどうした』
 『おはよ。今日友達と約束してたんだけど、今起きちゃって間に合いそうにないんだ。……車持ってたよね。
 お願いしてもいいかな』

 彼のため息が携帯電話越しに聞こえてきた。
『ったく、朝弱いんだから……。いいよ、送ってやる』
『ありがとう!今度おごるから!九時五十分くらいに来て』
『はいはい、本当俺がいないと駄目なんやから……』
『ごめんねー、じゃ、またあとで』

 一方的に電話を切った。彼は私の友達の友達と一緒に飲みにいったときに知り合ったばかりの人なのだが、意気投合してすぐに連絡先を交換することになった。ノリはすごく良いのだが、調子に乗る癖がある。そういうところも含めて気に入っているのではあるが。私のために動いてくれている彼にも支えられているのだと改めて感謝する。時刻は九時十分。朝食を素早く胃袋におさめ、タンスの中を漁りにいく。今日約束している彼はピンク色が好きだとかで、この間のデートの際に買った服を着ていくことにしよう。あれこれと準備しているうちに彼がやってきた。化粧を手早く済ませる。約束の彼は濃い化粧というものが苦手らしい。そのおかげで時間は短縮されているのではあるが。携帯電話が鳴る。車で待機しているというメールを受け取って、わずか二分で電話が来た。もう少し待っていてくれてもいいのに、と思いながら電話に出る。

『迎えに来たけどー』
『ありがとう、今出る』

 ドアに鍵をかけて彼の車に乗り込む。時刻は九時五十分を過ぎていた。家から待ち合わせ場所までは車で二十分弱。これくらいは許容範囲であろうと自分に言い聞かせる。約束の場所にいるであろう彼は、今私が一番気に入らない彼である。彼は私を何よりも一番に見てくれない。とても浮気性なのである。他の彼は私に愛情を注いでくれているのに。そのため私は彼を他の誰よりも多くデートに誘っている。他の誰よりも彼に尽くしている。それでも彼は私を一番には見てくれないのだ。負けず嫌いな私は今日も彼の一番になるために、約束の待ち合わせ場所へと急ぐ。




 僕はひどく変な友人を持っている。その友人というのも、会社の同僚なのであるが、先ほどから、僕がコーヒーを飲むために入った喫茶店から見える公園の入口で、白い箱を手に十五分ほど待ちぼうけているアイツのことである。本日「お休み」のアイツは人を待っているように見えるのだが、一向に時間を確認する気配がない。それどころか白い箱を開けたり、閉めたりしながら、体を横に揺らしている。おかしい。どう考えても行動が異常だ。その異常さは今に始まったことではないのだが。興味のあるもの、いやかわいいと思ったモノすべてに対する執着が異常なのである。会社の私物化されたデスク周りに飾られた写真を指差しながら、

「この子、この間やっと手に入れることができたんだよ」

 と、にこにこしながら語り始めるアイツを僕はいつも止めることができない。その様子を会社の皆も見ているから、アイツは「変人」として周囲に認識されている。可哀そうな奴なのだ。
 観察しているアイツが待ちぼうけをくらってから二十分が過ぎたころ、公園入り口からはちょうど死角になって見えないようなところに、青い車が勢いよく滑り込んできた。その車の中から一人のピンク色のコートを身にまとった女性が出てきた。ふわふわの髪の毛にピンク色のコートとは、かわいいもの好きのアイツが見たら、ついていってしまうことだろう。僕にも彼女がいるが、ピンク色の服なんてデートに着てきたことがない。今度勧めてみようか。などと彼女について考えていると、いきなりピンクの女性は、青い車の運転席にいる男性に顔を近づけていたように見えた。こんな路上の目立つところで愛を確かめ合うなんて非常識な奴らだ。
 ここでアイツに動きがあった。なんと、ピンクの女性が向かった先にいたのがアイツなのだ。そういえば「変人」のコルク板にそれらしい写真があったような、なかったような。かわいいモノは「人」でも対象だからな。最近できた「興味の対象」なのかもしれない。僕もなるべくアイツの身辺については、聞き流してきたし、見ないようにもしてきたから、知らなくても仕方のないことだな。それにしても二股かけられているとはアイツも思ってもいないことだろう。なんて可哀そうな奴だ。
 ここからではピンクの女性の顔は、髪が邪魔をしてみることができない。また、どこかに移動するようで、車道側を歩き始めたアイツによってピンクの女性はさらに見えなくなった。アイツらが見えなくなるまで観察を続けていると、ピンクの女性がアイツを叩いたように見えた。どんな理不尽な内容で叩かれたのか知る由もない。だが、尻に敷かれているのだろうことは想像がついた。一部始終を見てしまった罪悪感から、さらにアイツが可哀そうな奴に思えた。これからは少し優しくしてやろう。少しは聞き流さずに真面目に話を聞いてやろう。そんなことを思いながら、少し冷めたコーヒーに口をつけ、窓の外をもう一度見やると後ろから、

『あの人、ずっと外の女性見ているよ……怖いね』

 小さな声ではあるが、店内の通路をはさんだ向こうにいるらしい女子高生の声が聞こえた。どうやら店の前で、ティッシュ配りをしているミニスカートの女性を眺めていたように見られていたらしい。アイツのせいで、僕まで「変人」扱いされてはたまったもんじゃない。急いで冷めたコーヒーを飲みほした。そして席を立とうとした瞬間に携帯電話の着信音が鳴った。会社の上司からのメールであった。

  今日の分の仕事が昼までに結構終わったらしいから、残業少し短くて済むぞ。早く帰れるかもしれ
  ないから、飯頼んでおけば?(^^)

 今日はなんて良い日なのだろうか。先輩は僕に彼女がいることは知っているが、彼女が料理上手でなく、僕が作ってあげていることを知らない。今日は買い物をして帰ってあげよう。買い物できるくらい早く帰れるだろうか。
 友人の不幸を見て罪悪感を抱き、優しくしてやろうと決めた僕を神様が見ていてくれたのかもしれない。会社に帰って本気を出せば、もっと早く終われるかもしれないぞ。昼休みもそろそろ終わる。急いで会社に戻らなくては。その前に、愛している彼女にメールを打たなくては。

  置き手紙の内容撤回。
  少し早く帰れるかもしれない。
  夜ご飯一緒に食べよう。

 ぱたんっと携帯電話を閉じて、意気揚々と喫茶店を出た。友人と比較するのは失礼かもしれないが、僕はなんて幸せ者なのだろうか、と自覚できた良い日になった。これからも彼女を大切にしよう。本当に僕は幸せ者だ。


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Posted by 金沢大学文芸部 at 11:09│Comments(0)作品紹介
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