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2014年08月05日

ダレノモノ?  五十七

『判別』
 時計を確認すると、もう八時を回っていた。あの子が遅れるのはいつものことなので、別に気にはしない。それよりも気になるのは、昨日の昼ごろにあの子から届いたメールの内容だ。あの子らしいと言えばあの子らしいが、そんなもの落とすなよ、とは思う。
「ごめーん、おまたせー」
 そんなことを考えていると、あの子が右手を振りながら走って来た。
「おい、ただでさえセーラー服にリュックサックなんて目立つ格好なのにそんな手を振るんじゃねぇ。なおさら目立つだろう」
 近づいてくるあの子に向けて言った。あの子は自分の言動がとにかく目を引くことに気が付いていないのだ。あの子は私のそばに駆け寄ると、何の屈託もない笑顔を見せた。相も変わらず能天気だ。

「いやー、ごめんごめん。いつもの癖でさ」
 えへへ、とだらしなく笑う。その右腕には、手首から先がなく、代わりに包帯が巻かれていた。
「はいはい。とりあえず学校行こう。昨日の件は歩きながらね」
 私はこの子に背を向けて、いつもの通学路を歩き出した。
「待ってよぅ。大変な状況のワタシを置いてくなんて酷いじゃないかぁ」
「アンタねぇ。それって自業自得でしょう? 手首を無くすなんてドジ、よっぽどの間抜けだってしないわよ」
 私が少しきつめに言っても、えへへ、と笑うだけで反省した様子はない。この子は昔からこうだ。正直、調子が狂う。
 昨日、この子から来たメールには、『ピンチ! 右手の手首から先をどっかに落とした!』とあった。そんなものを無くすなんて、あまりにもバカらしくて返信する気にもならず、放置したのだった。
「で、結局見つかってないのね」
 あんなメールを貰った手前、触れないわけにはいかないだろうと思い話を振った。すると、『よくぞ聞いてくれました!』とでも言いたげな表情をして、べらべらと喋り始めた。
「そーなんだよ。昨日さ、ちょっと遠くに美味しいバーニャカウダのお店ができたっていうからさ、一人で食べに行ったのさ。これがまた絶品でさ、特にウォータープラントなんて今までに味わったことのない食感で! 思わずおかわり注文しちゃうくらいで――あ、これ関係ない話だったね。んでさ、美味しいものを食べた後ってご機嫌になるじゃん? だからウキウキ気分になって叫んだのさ。『ロケットパーンチ!』って。叫んだらなんだかやってみたくなっちゃって、さっきの店に戻って包丁を借りて右手首を切り落として、ソレを左手でブン投げたのさ。もちろん、『ロケットパーンチ!』って叫びながらね。そしたら、どっか行った。――以上、右手がどっか行くまでのいきさつでした」
 喋り終わると、この子はふう、と一息ついて私を見た。どうやら、感想を求めているらしかった。
「あんたねぇ……。どこから突っ込めばいいか分からないわよ、本当に」
「そんなにおかしなことしてたかな?」
 この子は、他の人からすればすぐに分かることもいまいち理解できないのだ。演技でも何でもなく、本当に。要は、人とは感性が違い過ぎるのだ。
「一、バーニャカウダなんてこじゃれたもの食べてんじゃない。二、美味しかったからって、普通の人は叫ばない。三、何故マジンガーZ? 四、子供じゃないんだから、ごっこ遊びは止めなさい」
「えー。ごっこ遊びって、たまにしたくならない?」
「なるわけないでしょう」
 この子のこうした感性にはついて行けなくなる時がある。でも、その感性こそが私がこの子を気に入っている理由でもある。
「アンタ、そのうち心臓でも落としそうよね」
 私が冗談めかして言うと、
「いやいや、さすがにそれ落っことしたら死んじゃうよ。足ならありえるかもしれないけどね」
 いくらこの子とはいえ、死にたくはないようだ。
「で、これからどうするの?」
 何か考えがあるとも思えないが、一応聞いてみることにした。すると以外にも、まともな内容の返事が返ってきた。
「ふっふーん。実は、今朝たまたますれ違ったおまわりさんに聞いたら、持ち主不明の右手が五つ交番にとっておいてあるらしいから、放課後取りに行くのさ」
「五つ……。アンタみたいな間抜けは他に四人もいるってことかしら。嘆かわしい」
「落としたんじゃなくて、捨てたのかもよ? 『俺の右手に封印された鬼が暴走する前にこの世界の果てに捨てなければ』みたいな? あ、ひょっとしたら私の他にもグレートマジンガーごっこしてた人がいるのかも?」
「……言いたいことはいろいろあるけれど、一つだけ」
「なに?」
「マジンガーZじゃないのかよ」

 放課後になって、私達は近所の交番の前にいた。私はこの子の付き添いとしてここに来ることになったのだった。私だけだと、どれが私の手首か分かんないかもだから、ということらしい。確かに、切り離された手がごちゃ混ぜになったら見分けはつかないだろうな、と妙に納得がいった。
「すみませーん。落し物ってどこにありますか?」
 中に入って、この子が警官に尋ねた。警官はすることがないのかぼんやりと天井を見上げていた。彼は左手で、私達から見て左にあるガラスケースを指差した。ケースの上段には財布や鍵といった小物が、下段にはジャンパーや鞄といった大きなものが入っていた。探し物の右手は下段に入っていた。が、
「……ねぇ、アンタはどれが自分のだか、分かる?」
 きちんと横一列に並べられた五つの右手は、私には見分けがつかなかった。この子なら分かるかと思い、聞いてみた。この子は右から二番目の手首を指差した。
「……これ、だと思う。たぶん。きっと。恐らくは」
「分からないなら分からないってはっきり言いなさい」
 この子も見分けがついていないようだった。……記憶を探っても何も出てこない、ということは。
「すみません、これって全部今日届いたんですか?」
「そうだよ」
「どの辺りに落ちていたとか、聞きました?」
「いいや、全く」
 何か手がかりになるかと、警官に話を聞いたが何も得られなかった。職務怠慢と言わざるを得ない。
「もうどれがどれだか分かんないから、適当に決めちゃって」
 この子が唐突に、そんなことを言ってきた。
「私が決めちゃってもいいのかしら」
「いいのいいの、この町の主人公たるキミに決めてもらおう、と思った次第であります」
「……はあ」
 この子の真意はよく分からない。この町の主人公だ、なんて、本当にそう思っているのだろうか?
「じゃあそうさせてもらうけど、でももしこの中にアンタの手が無かったらどうするの?」
「そのときはそのとき。明日には明日の風が吹く!」
「相変わらず、調子のいいこと」
 この子のお墨付きも得て、とりあえず左端の手首を持って帰ることにした。警官に手を一つ持って行くと告げて、私たちは交番を去った。
「いやあ、本物だといいねぇ」
「あとで私に文句言わないで頂戴ね。その手が間違っていてもアンタの責任なんだから」

 セーラー服の女子二人が去ってから十分後のこと。赤いランドセルを背負った少女が交番を訪れた。少女は右手を拾ったらしく、それを届けに来たのだった。警官は左手で手首を受け取り、少女は警官に手首を渡した後すぐに去った。警官は届けられた右手首を舐め回すように見た後、
「……違うな」
 と呟いて、それを机の上に置いた。警官は自身の右手をちらりと見た。右手には、手首から先がなかった。
「やっぱり、さっきあの子達が持って行ったあれだったか?」
 警官は再び呟いた。そして、天井を見上げながら思った。

 グレートマジンガーごっこなんてするんじゃなかったと。

『傲慢』
 赤いランドセルを背負った少女が、河川敷を歩いていた。少女は学校から家に帰る途中だった。少女は、いつもは河川敷を帰路には使っていなかった。寄り道して川沿いの交番に妙な落し物を届け、風が心地いいからと河川敷に下りて、家の方へ歩いていたのだった。
 しばらく歩いていると、少女は橋の下に着いた。そこには白い犬がいた。赤い首輪をしていて、誰かの飼い犬のように見えた。少女は犬に近づき、じっと観察した結果、誰かの飼い犬だと思った。
「どうしたー、犬。すてられたの?」
 少女は犬に話しかけた。すると犬が怒ったように言った。
「バーカ、捨てられたんじゃなくてこっちから捨てたんだよ」
「そうなの? 何があったの?」
 少女が気になって尋ねると、犬はまくしたてるように言った。
「俺は元々あいつらのことを、俺に食い物と安全な場所を無償で提供する都合のいい奴らだと思ってた訳だ。ところがどうだ、奴ら最近になって移植手術がどうとか、アレルギーだからとか訳の分からないことを俺の前で言うようになったと思ったら、今度は俺の方を見て『もう飼えないね』なんて言いやがる。それを聞いて呆れたね。あいつら、俺を飼っているつもりだったんだ! ――今になって思えば、首輪なんて付けさせたのは、『この犬は私達のです』なんて思ってたからなんだろうな。それに気がつけなかった俺も俺だけどよ。んで、頭にきたから言ってやったわけ。『お前らを選んだのは俺だ、俺の方が上の立場なんだぞ』ってな。そしたらあいつら、血相を変えたかと思うと、キーキー声で『お前なんてうちのペットじゃない』なんて言いやがる。『冗談じゃない! 元々俺はお前らのペットでも何でもないんだよ!』そう思ったからこっちから捨ててやった訳よ。 ――ところで嬢ちゃん、俺の言ってること、分かるかい?」
 犬はそれまでの口調からは想像がつかないような、優しいとさえ思える口調で少女に尋ねた。
「ううん、よく分かんない」
 そう少女が言うと、犬は冷淡な態度になって言った。
「ああそうかい。嬢ちゃんにも今分かるさ、あいつらの馬鹿さ加減をな」
 犬は踵を返してどこかへ行こうとした。そんな犬の姿を見て、少女はあれ、と思った。
「ちょっと待って。ひとつ聞いていい?」
 少女は犬を呼びとめて、尋ねた。
「あなたって、テレビに出たことある?」
「……ハチ公でもなければ北大路欣也でもねーよ」
 犬は蔑むようにそう言って、どこかへと走り去った。
 少女はしばらくの間、犬が何を言いたかったのかを考えていたが、印象に残っていたのは犬のまくしたてるような口調と、犬がなんだか偉そうだったことだけだった。
 やがて少女は犬と犬が言っていたことを考えるのをやめて、家路を急いだ。

 少女が家に帰り、母親にインターホン越しに『ただいま』と言った後。少女は玄関に置いてある、金魚を飼っている水槽に餌をやった。少女は金魚の世話をするのが好きで、餌をやるのが少女の日課だった。金魚が泳いでいるのを見るとなんとなく元気になれた。
 少女は餌を一つまみやった後、背負っていたランドセルを玄関に置いたその時、背後から声がした。
「我慢の限界だから言わせてもらうけどさ、もっとまともな食べ物ないの? これ本当に不味いんだけど」
 可愛がっていた金魚からそんなことを言われた少女は、思わずランドセルを掴んで水槽へと勢いよく投げた。

 少女はなぜあの犬が捨てられたのかを理解できた。

『渇望』
 ある病院の一室。一つだけ置かれたベッドの上に少年が横になっていた。近くの机の上には『快気祝い』や『手術成功おめでとう』と書かれたお見舞いの品々が置いてあった。
 少年以外には誰もいない病室に、何の前触れもなく妙齢の女性が現れた。女性はベッドに近づくと、少年に声をかけた。
「ねぇ、ちょっと起きて」
「うん……?」
 目を覚ました少年がベッドから身を起こすと、自分のすぐ横に女性が立っていることに気が付いた。その女性は、心臓がある辺りがぽっかりと抜けていて、女性を通して窓際に置かれた花瓶が見えた。
「ええと、どちら様ですか」
 少年が女性へと問いかけた。
「貴方の心臓の持ち主よ」
 女性が、自身に空いた空洞を指差しながら言った。
「……ということは、ええと、その、お化け、ですか」
 少年は言葉を選んでそう言った。
「そんなところ」
「どういったご用件でしょうか……」
 少年はか細い声で尋ねた。
「あなた、私の心臓を持って行ったでしょう? それを返して欲しいの」
「……え、ええっ?」
 少年は頓狂な声を上げた。
「だって、あなたはお亡くなりになったんでしょう? それなのに返して欲しいって、どうすればいいんですか?」
「簡単よ。心臓を取り出して、燃やして、その灰を墓にある遺灰が入った壺に入れてくれればいいわ」
 女性がそう言うと、
「そうしたら、僕はどうなるんですか。死んじゃうじゃないですか!」
 少年が叫ぶと、女性は顔をしかめた。
「そうね、そうなるわね。でもどうせドナーが見つかる当てがなくて死ぬところだったんだし、構わないでしょう?」
 女性はさらりと、どうでもいいことだと言わんばかりの口調でそう言った。
「いい訳ないでしょ!」
 少年は再び叫んだ。
「やっと、やっとドナーが見つかったんだ、手術もうまくいって退院できるんだ、助かったんだ! それを今さら返せなんて、そんなの認められる訳ない!」
 それに女性が言い返し、激しい応酬が始まった。
「仕方ないでしょう! 体が全部揃ってないと天国へいけないなんて急に言い出してきたのよ。最近は人口爆発のせいで死人が溢れて定員オーバー気味だとかなんとか、頭から青い炎が出ている軽薄そうな神様が言ってきたのよ。そんなの知るもんですか!」
「だったらなんでアンタは移植なんて認めたんだよ!」
「それはあのクソジジイに言いなさいよ! あいつが勝手に『提供させよう』なんて言うからこんなことになったのよ。おかげで私の体は腎臓とか網膜とか、あっちこっちに散らばって取り戻すのが大変だったんだから」
「最近よく聞く、移植手術を受けた人が相次いで自殺してるっていうのは、アンタのせいか」
「ええそうよ。なんとかあいつらを説得して、臓器とかを取り出させて返してもらったのよ。当然よね」
「何が当然だ! この心臓はもう僕のだ、アンタには渡さない!」
「ああそう! ならどんな手を使ってでも取り戻してみせるわ。覚悟しておきなさい!」
 女性は最後にそう言い残し、消えた。
 少年はベッドに横になり、ぎらぎらした目つきで天井を睨んだ。

 看護師が病室をノックした。

『主張』
 警察署に設けられた喫煙所に、二人の男がいた。一人は強面で貫録があり、もう一人は若くやや頼りない顔つきだった。二人とも手には火のついた煙草を持っている。
「それにしても、最近はよく分かんない事件が多いですね」
 若い男が、強面の男に言った。
「全くだ。自殺の件といい、ネットでの犯行声明といい、年寄りには難しい案件が多すぎる」
 強面の男が表情を変えずに言って、煙草を口にくわえた。
「ですよねぇ。ネットの件なんて、あのポンコツ捜査本部長のせいで――」
 強面の男が煙を吐いた。
「そういのを陰口と言うんだ。お前の悪い癖だと、いつも言っているはずだが」
 若い男の言葉を遮って、強面の男がやや強い口調で注意した。
「そうでしたね、すみません。――で、あの本部長が容疑者を何人も挙げるせいで困りますよ」
 若い男は呆れたような表情をして、煙草をくわえた。
「確か、動画サイトにあった誰かが作った曲、歌だったか、それを被害者が歌ってCD化して売ったら、それを気に入らない何者かが殺害予告を出した、って事件だったか」
 強面の男が尋ねると、若い男は煙を吐いてから言った。
「ええ、そうです。私の作品をよくも踏みにじってくれたな、殺してやる、って具合にね。あの曲、歌って言った方がいいんですか。歌の作詞者、歌の伴奏をした人、機械音声に歌わせてから歌をサイトにアップロードした人、サイトの運営者、被害者個人を猛烈に嫌う人、被害者の熱烈なファン等々、容疑者候補がかなり多いんです。被害者が有名人の息子でもなければこんなに大騒ぎにはならなかったでしょうが……。まったく、いったいいつ終わるんでしょうかね」
 若い男がうんざりした調子で言う。強面の男はほんの少し表情を緩めた。
「アイツはいつもそうさ。考えられるだけ挙げて、一つずつ潰していく。それがあいつにとっては確実な方法に思えるんだとさ」
「そうなんですかねぇ」
「むしろ、インターネットなんてお前みたいな若い世代の得意分野だろう」
 強面の男がそう言うと、若い男は苦笑した。
「そりゃあ、先輩に比べれば若いですけどね。あんなのはもっと若い連中、二十代後半よりもっと若いやつらじゃないと知りませんよ」
「インターネットにも、いろいろあるのか」
 強面の男が尋ねた。
「そりゃあそうです。一口にネットと言っても、家事の合間にネットを見て料理の研究をしている主婦と、一日中ネットに張り付いて右だの左だの喚いている連中ではアクセスするサイトがまるっきり違いますからね」
「……」
 強面の男は黙ったまま煙草を吹かした。
「あの……。先輩?」
 若い男は、また自分が何か気に障ることを言ってしまったのかと思い、顔色を窺った。強面の男は、どこか遠くを見る目をしていた。
「俺には、お前が説明してくれたことが今一つよく分からん。今は、移植者の自殺の件で頭が一杯だからかな」
「そういえば、先輩の事件も妙ですよね。腎臓とか網膜とか、ましてや手首をサクッと切り落としても死にはしないのに。俺の知り合いなんて、一日に手首が六つも届けられたなんて愚痴ってましたよ」
 若い男が話題を変えた。強面の男は何も言わず黙っていた。
「自殺者に共通することって何かあったりします? 実は自殺者は同じマンションに住んでいたとか」
若い男が尋ねた。強面の男はしばらく沈黙した後、
「そうだな、これもよく分からん」
 とだけ言った。若い男は、そうですか、とだけ言って、やはり黙った。
 しばらくして、若い男が灰皿に煙草を放り込んで、強面の男に言った。
「では、俺はお先に失礼します」
 若い男は一礼して、強面の男の言葉を待たずに喫煙所を出た。それから少し歩くと、黒い長髪でセーラー服姿の少女が、警察署の階段を地下へと下っていくのが見えた。若い男は一瞬不審に思ったが、父親にでも会いにきたのかと考え、気にしなかった。その後、若い男は廊下を歩きながら、誰に言うでもなく呟いた。
「『黙る、ってことは、何か知っているが言いたくない、って主張しているんだ』か。まさしくそうですね、先輩」

 捜査状況くらい教えてくれてもいいのに、と彼は思った。

『滑稽』
 警察署の地下には、私しか入れない一室がある。そこには私が構築したシステムがあり、それはまさしくこの町の最重要施設である。
「……さて」
 地下の廊下の壁に固定された掃除ロッカー。この中に、私がいつも身に着けている髪留めを所定の位置に置くことで、入り口が開くようになっている。
 髪飾りを置くと、掃除ロッカーが壁ごと後ろにスライドし、入り口が開いた。私はそこから部屋に入った。入るとすぐ、ロッカーは所定の位置に戻り、入り口を隠す。この部屋が出来て十年以上経つが、気づかれた様子は一度もない。
 部屋にはいたるところに機械が置かれており、メインコンピュータへの細い通路くらいしか空いたスペースはない。私はその通路を通って、メインコンピュータの元へと向かった。
 私がここで行うことは、この町で起こった事象すべてを知ることだ。
 私の構築したシステムは、この町のいたるところに密かに設置されたカメラや、住民一人一人の顔写真や生体リズムなどを元に、いつ、どこで、誰が、何をしたかをすべて記録している。その記録を一日につき一回、数時間閲覧するのが私の趣味、あるいは娯楽だ。今日一日にこの町でどんなことが起こったのかを知ることは、かなり楽しい。昨日はあの子のメールがあったから、手首に関連した事象を探していた。だから、あの子から聞いた手を無くすまでの経緯は、昨日のこの時間にはすでに分かっていたのだ。
 しかし、このシステムにはまだ不十分な点が二つある。一つは、結果が記録されないことだ。ある結果がまた別の事象を引き起こし、その事象の結果がまた別の……、といった具合に、連鎖的な反応を起こす。それらすべてを記録するには、このシステムではまだ演算能力や記録能力が足りないのだ。
 もう一つの欠点は、記録を閲覧するにはここに来る必要があるということ。リアルタイムでは閲覧できないから、あの交番にあった手首の判別がつかなかったように、今日起こったことはこの時間帯にしか知ることが出来ない。当然、今ならあの交番に持ち込まれた手首がどこで拾われたのかが分かるのだけれど……。
「調べてみますか」
 あの子の記録と、右手を拾って交番に届けた人の記録を参照した結果、
「……違う手じゃないの」
 どうやら、私たちと入れ替わるようにして交番に来た小学生の子が持ってきたものが、あの子の右手のようだ。まぁ、当の本人は間違っていても気にしないようだし、私の責任ではないと言っておいたので、あまり問題ではないだろう。
 今現在で他に気になることは特にないので、記録を流し読みすることにした。当然ながら、私自身はこの記録すべてを記憶することなど出来やしない。あくまでも、私が気になっていることやこの町にとって重要な案件があった場合にのみ、私自身が記録を調べるようにしている。だから今表示されているような、病室で少年がなにやら一人で叫んでいることは私の頭には残らない。……この少年の頭がおかしい、ということは覚えているでしょうね。
 それにしても、あの子が交番で言った『この町の主人公たるキミ』という言葉、あれには正直面食らった。まさかこの部屋のことを知っている訳ではないだろうけど。
「この町の主人公、ねぇ……」
 それほど間違ってはいないのだ。私は、この町で起こったことすべてを知ることが出来る。そんな人間はこの町では一人もいないし、特別な存在、という意味でなら、私は主人公だろう。だた、本来の意味の通り、私がこの町の中心人物なのかと問われれば、私はノーと答えるだろう。
「まあ、なんだっていいんだけどさ」
 私が主人公なのかそうでないのかはどうでもいいし、それよりも私には他に胸を張って言えることがある。私はこの町で起こったことすべてを知ることが出来る、ということだ。この町を上から俯瞰して、のんびり観察しているのに近い感覚。芸術品を上から目線で見ているような感覚。私は誰かに訴える訳でもないが、叫びたい気分になった。

「この町全部、私のもの!」


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Posted by 金沢大学文芸部 at 10:42│Comments(0)作品紹介
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